セントラ
ワインボトルが一本、二本。
汚れたグラスが2つ3つ。
食べ散らかされたチーズのかけら。半分に折られたクラッカー、その類。
深い毛足の絨毯に、縫いとめられた人ひとり。
呆然といった風情で、相手の顔を見やる。
薄暗い照明が逆光になって、表情は見えない。
もとより、彼はそのポーカーフェイスをたやすく崩すような男でもなかったが。
「なにを」
ぐっと指先に力をこめて押し返そうとするが、体は当然のことながら、腕も、指も、ぴくりとも動いてはくれない。
分かっている。私は到底助かる見込みのない高さから落下した。
奇跡的に骨折と切り傷くらいで命に別状はなかったが、全身に負った打撲はいかんともしがたかった。
「エルシャール」
怯えた表情をしてしまっているだろう自分の顔をつとめて平生に戻そうとするが、上手くいかない。
眉がひくりと下がり、歯の根がなぜか合わない。
対照的なのはエルシャールだ。
ハットから出ている赤に近い茶色の髪が、薄暗い蝋燭色した照明に透けて光っている。
表情も変わらない。呼吸音すら聞こえない。
もう一度、力をこめて、自分の手を握り締めたまま縫い付けている彼の手を押してみた。
びくともしない。まるで大英博物館の柱にでものしかかられているような絶対的な質量すら感じる。
「エルシャール」
声音が震えた。
黙りこくった彼を見ることは珍しいことではなかったが、これほど不気味な沈黙はない。
とうとう、肩を肘の辺りに入れて、全身の力をこめてレイトンの体を押し上げようとした。
だが、肩を肘の位置にねじったと同時に、ふっと片手が離された。
あ、と思った瞬間、彼の右手が私の頭をつかんで床に渾身の力をこめて押し付けた。
「いっ」
何本か髪がちぎれた感触があった。じわじわと木造りの硬い床の感触が、敷物を通して頭に響いてゆく。
たまらず目を伏せ、唇をかみしめる。
「デスコール。」
ごく近くで声がした。何を考えているかさっぱり分からない声音。
こんな状況にしておきながら、まったく悪びれをみせる気配のない声。
「なんだか、懐かしいね。こういうことも。」
仮面の額側を歯で咥えて、するすると外しながら、レイトンは笑った。
照明に照らされた表情は、満足げに微笑んでいる。
だが、その微笑の向こうに、底知れない冷たさが潜んでいるように見えて、私は思いっきり顔をそらそうとした。
勿論彼の手によってそれは止められてしまう。髪が切れる音。
「何で逃げようとするのか。分からないな。デスコール。」
仮面の紐が頬に垂れた。目に差し込む光。目を焼く痛み。
目の前にあるレイトンの顔は、ひどく嬉しそうに笑っている。
「どうせ、だれもきやしない。」
毛足の長い敷物に、その声音もくるまれて消えた。
クラッカーくずまみれのハニーポットからとろとろとハチミツをクラッカーに垂らしながら、赤茶色の髪の青年は、白衣の青年を見やった。
白衣の青年は寝台にのびやかにそのままの体を投げ出している。
しばらく見ていると瞼だけをようよう開いた。
目が合うと、一瞬安心したように眉頭をゆるめ、またとろとろと瞼をとじた。
「試験に遅れるぞ」
ううんと眠たそうな相槌と、ひらひらと寝台の上で翻る白い骨ばった手。
「済ませてきた」
「まさか」
「知らないのか。前倒し試験というものがああいう大教室の類にはあるのだよ。エルシャール。」
勉強時間を減らしてこれだけのためにそれを?と問おうとして、その言葉をレイトンは飲み込んだ。
珍しく上機嫌なデスコールは嬉しそうにくっくと笑い声を立てて寝台の毛布に頬を摺り寄せている。
「ふっふ。いい休日だ。あたたかい。あたたかい。気楽な、すばらしい休日だ。」
寝台近くのテーブルにはあいたウィスキーのボトルがひとつ。
汚れたグラスが1つ。
食べ散らかされた学食のあまりもの。半分に折られたクラッカー、その類。
うららかな日の光のなかで嬉しそうに頬ずりする青年ひとり。
「ちがうか。エルシャール。」
てろんと伸ばされたデスコールの手をとって甲に口付けてから、レイトンも微笑んだ。
「違わない。デスコール。」
そのまま手をたぐり、寝台の上に体を預ける。
下に敷いた肌の暖かさとゆるやかなリズムの鼓動がじんわりと衣服をとおして伝わってくる。
細い指が、土いじりで硬くなったレイトンの指をなぞって、そしてゆっくりと指と指の間におさまった。
瞼を軽く閉じて、満足げに息をつくデスコールの額に軽く唇を落とす。
デスコールはくっくと笑い声を立てた。
「だれもきやしない。」
「ああ、だれもきやしないな。」
応じて更に唇を落とす。身をよじってくっくと笑いながら、デスコールの広げた手の中にレイトンはおさまった。
「っあ!」
悲痛な悲鳴があがった。無理にあげさせられた腰を強くつかんで、レイトンが酷薄に笑む。
「痛むかい。」
床に押し付けられた体をいたわるように、抱きしめながら、折れた右腕をレイトンは軽くつねる。
鋭くあがる悲鳴。ぼろぼろ涙をこぼしながら、デスコールはいやいやと首を振った。
「いたい、いたいいたいいたいいたいッ!!」
「あんな高さから落ちて、大丈夫なほうがどうかしていると思わないか。」
ぐ、と床に体を押し付けられ、ことさら腰を高く持ち上げられながら、デスコールは目を強く瞑って首を振った。
「思っていなかったとは、志以外の危機管理能力の低い科学者様だね。」
押し広げられたそこが、こころもとない。
冷たい夜気に晒されて、ぶるりと身震いをした。
レイトンがそこにおさまる感触に更に強く目をつむる。
懐かしい感触だ。
からだの中から、とけてしまいそうだ。
ああ、ワインがまわっているんだ。
きっとそうだ。そうに、違いない。
目のはしから、涙が垂れるのを止めることはできなかった。
熱い塊は体の奥底をじりじりと焼き、体の隅々まで起き火で焦がしてゆくかのようだった。
「・・・っシャール・・・ッ!!」
「どうしたんだい。デスコール?」
名を呼ばれながら、強く身をえぐられ、息が詰まった。ひっと声が漏れた。
鉄のように重たい塊が、自分の体の芯を突き刺してしまって、身動きが取れない。
体を少しでも動かすようなら、その塊が自分を突き破ってしまいそうだ。
それは、簡単に言えば、恐怖の感触だった。
「怖くはないさ。デスコール。」
「ッっうううっ」
前で萎えていたものを握りこまれ、デスコールは体を震わせた。
頭の中の情報がせめぎあって火花を散らせる。
右は言うのだ。「きもちがいい」と。左は言うのだ。「怖くてたまらない」と。
「ふふ。気楽な休日だね。デスコール。懐かしいくらいに。」
「ひぃいいああアッ、ああっああああやっやめっひ、あああああ」
分かっている。覚えている。あの日々は、なんと穏やかで、日の光に満ちて、素晴らしく堕落したことばかりしていたのに、
素晴らしく晴れ晴れとした日々だった。
レイトンのあたたかく、大きな手のひらが、とうとうと涙をこぼす目をそっと覆った。
暗くなる視界。恐怖で縮こまっていた心が、暗闇に安堵の息をこぼす。
「いつから、仮面なんかつけるようになったんだ。デスコール。」
「う、あ、ひっ・・・うあああ」
「肌が太陽にひどく弱いのはしっていたけれど、ここまでとは知らなかったよ。デスコール。」
白すぎる肌が、蝋燭色した照明にゆらゆらと光っている。
元々、体が強かったわけではない。日の光に異常に弱かった。
火ぶくれを起こす肌を、室内競技で鍛えても、それでも、一日にして真っ赤になることを避けることはできなかった。
仮面の覆う部分をレイトンのあたたかい手で覆われて、デスコールは安心したようにいきみを抜いた。
途端に、デスコールの呼吸が幼い音になる。舌足らずにあえぐ声に、レイトンは目を細めた。
「アーシェル、アーシェル。」
ああ、この声だ。低く、まるで水を含んでいない筆跡のようなのに、どこかしたったらずな、この声が、私のデスコールだ。
一人満足して、前を強く握ってやる。鼻にかかった甘い悲鳴。
「エルシャールだよ。ジャン。」
ふ、ふ、と幼い音の息を吐いてから、デスコールはふふふ、と嬉しそうに笑ってから呼びなおした。
「エウシャーウ。」
舌足らずな仏国語なまりの英国語に知らず、微笑を頬に溜めて、レイトンは後ろからデスコールを抱きしめた。
ぐち、と粘着質な音と、甘い悲鳴があがったのを嬉しそうに受け止めて、背に、首に、唇を落とす。
「デスコール、忘れちゃあ、だめだよ。」
「ふ、あ、あああっひ、ひああっや、やああっ・・ん、うっあっあっ」
「なにを、忘れちゃあいけないか、分かるかい?」
「ひいいっあっああああっわっ・・・あああっわかっ・・・」
後ろから強く揺さぶられながら、それでも必死に言葉はつむがれる。
「・・・エウシャー・・・ウッ・・・・ああああわかっわかって・・・わかってあああ・・・ヒ、あ、いるっ」
「いい子だ。」
強く腰をおさえて、そのまま奥まで進めば、びくりびくりと白いからだが痙攣を起こした。
目から涙がこぼれ、体がレイトンを離すまいと縮こまる。
「ひ、あ。あ。あーーーッ・・・あ、あーーーーーー。」
ぶるぶると震えて、快感をむさぼるデスコールを、レイトンは後ろから腕のなかにおさめる。
これ以上、外へ出ていかせまいとするかのように、強く。
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pixivからようこそ。
pixivで文章あげられないからこうして発散するわけです。
同士心の底から求む。
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